氏名 : 関口さん
高校 : 県立熊谷西高校
スポンサークラブ : 熊谷南ロータリークラブ
カウンンセラー : 埼玉 勝
派遣国 : オーストラリア D9810
ホストクラブ : Timothy Stwewart RC
留学期間 : 2003〜2004
こんにちは。関口彩香です。私は去年の8月から今年の7月まで約1年間オーストラリア9810地区メルボルンのヤラバレーという、田舎で自然の美しい町に派遣させていただきました。私が1年間過ごした第2の故郷とも呼べるヤラバレーはメルボルンでの忙しい毎日に疲れた人々が自然を求めてやってくるという観光名所でもあります。 ,br>
今から約1年前、1年間のGreat adventure へと生まれて初めて空港を目の前にしました。今まで当たり前のように毎日を過ごしてきた家族や友達との別れに涙しながらも、絶対成長して帰ってくる!!という強い決意とともに日本をたちました。メルボルン着陸直前、飛行機の中から見た美しい日の出に新たな勇気をもらい緊張と期待でドキドキわくわくしていたあの時の私は不思議な程に不安はありませんでした。飛行機を降りた後2時間以上も迷子になった後、風船で飾られたあやかとちょっと間違った日本語で書かれた大きな紙を掲げたカウンセラー、ホストファミリーの方、ロータリークラブの方に迎えられました。私が出口から出てきたとたん、たくさんのキス、Hugのあらし。びっくりした以上についに私の留学生活が始まった!!という実感と期待でとても心があつくなったのを今でも鮮明に覚えています。私はカウンセラーの方を初め4つのホストファミリーにお世話になりました。最初の3週間と最期の3週間はカウンセラーの家におせわになりました。それ以外にも毎週水曜日はカウンセラーの家に泊まって話をするというのが決まっていました。そのため1年間を通して本当にいろんな事を話しましたし、ありのままの私を見せてきたためとても信頼しあえ、彼らはどんな時でも私を笑顔で迎えてくれました。
最初の3週間はカウンセラー(Timさん)カウンセラーの奥さん(Marinaさん)2歳の赤ちゃんJacintaにとても支えられました。学校も始まっていて全てが初めてで慣れない生活の中で、学校から帰ってきてMarinaさんとずうーっと話をしていたり、一緒にご飯を作ったり、Timさんが帰ってくると3人でUNOに燃えたり平穏な毎日に幸せを感じることが出来ました。私がとてもよいスタートを切り、1年を充実したものにすることが出来ると確信することが出来たのも彼らの存在あってこそだと思います。
第1ホストファミリーは70歳のホストマザーと69歳のホストファザーで、両親というよりもおじいちゃんおばあちゃんという感じでした。2ヶ月間一緒に過ごしましたがやはり言葉の面で苦労する事を多く感じたのはこの時期でした。2人はイギリス人でMarinaさんやTimさんとは違ったイギリス人特有のアクセントをもっていたため2人の英語がまったく理解できずに誤解が起きてしまうこともしょっちゅうでした。この家での思い出の一つに蝶蝶事件があります。ありえないほど大きな蝶蝶を目撃し、まさか本物の蝶蝶がこんなにデカイはずないだろう・・・とちょっと壁をたたいてみたとたん蝶蝶が動いたのです!!早朝からホストマザーをベットから引っ張ってきて助けを求めましたが、たかが蝶蝶じゃないの!と言われてしまいました。なんだかカルチャーショックを感じました。今でも鮮明に覚えています。本当にデカかったんですよ!2人とも自分の時間を大切にしていたし、彼らには彼らの生活リズムがあったので、一緒に会話したいのに話せなかったり、家で一人ぼっちのような孤独感を感じてしまったり、なんでこの人達はこんなにも冷たいんだとうと淋しさからか思ってしまったこともありました。一緒に生活した2ヶ月間では正直そこまで打ち解ける事は出来ませんでしたが、2ヶ月、4ヶ月と時がたち私の英語が上達するにつれて彼らの英語も分かるようになり、最終的にはとてもとても仲良くなることができました。帰国1週間前には、彼ら主催のお別れパーティを開いてくれるなど、2人と今の関係になることが出来た事に幸せを感じています。
第2ホストファミリーは47歳のホストファザーというとても溶け込みやすく私にとってとても居心地のよい、思い出深いホストファミリーとなりました。その家族は今までにも9人のロータリー留学生をHostしてきて、私が10人目というHostベテランでした。そのためHost brotherもHost parentも留学生の対応に慣れていたためか、優しく接してくれましたが最初はなにか本当の家族になりきれていないような壁を感じていました。しかし、なにかをきっかけにその壁をこえて本当の家族として接してもらえるようになりました。私がいつも私でいたことで、彼らも私をお客さまとして見るのではなく本当の家族として私を見てくれるようになったのです。弟達が本当に本当に大好きでいっつもI love you♪と告白していました。私は2人にいわせると2人の妹らしいですが、自分の中では2人の成長を見守るお姉ちゃんです。また、この家では1人での外出禁止令がでてしまいました。3回も迷子になったからです。夏休み旅行として家族みんなで出かけたフィリップアイランドでは、知らない土地を3時間以上も歩きつづけました。もうだめだ〜と思った時、散歩中のお父さんに偶然発見され、その後お母さんがカンカンに怒こっていたことはみなさんも想像がつくことでしょう・・・。その他にも、電車を乗り間違えたり、家の周りで迷子になり隣町まで行ってしまったこともありました。しかし、迷子になった・・・と自覚した時でも好奇心旺盛な私は、不安を感じるというよりは、今まで知らなかった場所を知ったり、違う景色を見たりなどという事が嬉しかったです。Host parentとも想像していた以上に仲良くなることができ、特にホストマザーには友達以上になんでも話すことができました。一緒にダイエットに燃えたりもしました!「日本人っていうから今回の留学生はおとなしい子なんだろうって思ってたけど、彩香は今までの留学生で1番うるさいし、もう家族の一員ね!」って言われた時は涙が溢れるほど嬉しかったです。
第3ホストファミリーは本当に田舎の中の田舎に住んでいました。窓から見える景色が夕焼けに染まってだんだん色を変えていくあの美しい光景は今でも頭に焼きついています。この頃には、私の英語ももうだいぶ上達していたためコミュニケーションに苦労することはなかったように思います。建築家の仕事をするホストファザー、オペラ歌手のホストマザーに14歳の弟と9歳の妹の4人家族でした。カンガルーを初め、コアラや馬、ウォンバットなどのたくさんの動物たちにも囲まれて3ヶ月を彼らと一緒に過ごしました。毎週のように5人で映画に行ったり、冬休みにはフットボールの観戦に行ったりと、家族で一緒になにかをするというのが多かったため気づいたら家族の一員として彼らと過ごしている自分がいました。日本に興味を示してくれて、彩香に会って初めて日本と言う国にすごい興味を持ち始めたよ!日本に行ってみたい!と言ってくれました。日本人である私が日本の文化や考え方などを通じて、出会う人たちに日本という国をなんらかの形で残せたら・・・と思っていたので、その言葉は強く私の心に残りました。ちなみに今あやかと名づけられたカンガルーの赤ちゃんを飼っているそうです。
第4のホストファミリーは子供がすでに独立した、Host parentだけだったのですが、2人はいつも私がいやすい空間をつくってくれました。ホストマザーは世界で1番料理が上手なお母さんだと思います!毎日お夕飯が楽しみでした。8キロ太った理由がここにあります・・・(笑)。ホストマザーとは一緒に料理を作ったり、風呂あがりに一緒にお互いの体にクリームを塗ったりと一緒にたくさん笑いました。ホストファザーはフランス人でとても独特なアクセントもっていました。そのため、会話をしていてお互いがお互いのアクセントを理解出来ずに、お母さんが通訳に入ってやっと会話が成立!なんて事はしょっちゅう。それがすごいおもしろく3人でいつも笑っていました。最終的には、お父さんのアクセントにも慣れて、お母さんの通訳は必要なくなりましたが、今でもあの3人の会話はいい思い出です。
ホストファミリーの話が長くなりましたが、次は学校について話したいと思います。学校に対してまず思うことは、留学生として扱われることがまったくなかったということです。留学生に対する日本人の接し方を見てきた私には、それはすごい新鮮で嬉しいものでした。学校初日にどの教室に行ってもまったく気にもとめられず、話かけられるのをまっていた私は、その接し方に対し「なんで皆こんなに冷たいんだろ〜・・・」と思ったりした事もありました。しかし、「人に甘えないで自分から動かなきゃ始まらない!留学生っていう甘えを捨てよう!」と思った時から友達は自然に出来てきました。中でも思い出に残っているのがYear 12 Formalといってアメリカのプロムのようなものです。1ヶ月以上前から仲の良い友達とドレスを決めたり、メイクを互いにしあって準備したりとみんなその日が近づくにつれてドキドキしていました。当日はみんながシンデレラのように見えました!いつもジーパンにTシャツの仲の良い友達がお姫様のようで、見ているだけで嬉しくなりました。ダンスパーティは夜中過ぎまで続き、私も時間を忘れて楽しいときを過ごしました。本当に楽しかったです。またDebutante Ballという日本でいうと成人式のような、18歳の女の子が一歩大人になる事を祝うとても正式で本格的なダンスパーティーに参加することもできました。3ヶ月のパートナーとのダンスの練習をへて大勢の観客の前で踊ったときは不思議と緊張はなく、練習の成果を発揮することが出来ました。本当に楽しかったです!!プロの人にメイクをしてもらったり、髪の毛をやってもらったりと気分はお姫様でした!ドレスをロータリークラブの方が特別に私のために作ってくれたものでした。そのドレスを大切に保管して今度は自分の結婚式に着たいですね!学校はとても居心地のいい場所で、いつも友達と笑っていたきがします。友達は辞書にはのっていない言葉を教えてくれたり、一緒に雑誌を見ながら分からない英語を教えてくれたりもしました。友達と会話することは、ホストファミリーと会話するのとはまた違う楽しさがあって学生ならではの悩みを共有することができました。みんな日本にもすごい興味を示してくれましたし、彩香に会ってから日本語の勉強がしたくなった!と何回か日本語の授業をしてあげた友達もいました。留学をとうして私が得たものの1つとして、たくさんの素晴らしい人達との出会いや変わらない友情があります。高校生という若い時期に海外に初めて自分の肌で感じてこれたからこそ得れたものであり、今の私は人間として大きくなってきたと感じられ1年前の私より成長した気がします。
9810地区のロータリーの旅行ではメルボルンから最終目標エアーズロックまでクーバーペディやエアスプリングなどを初めとするたくさんの観光地を19人の留学生と一緒に行ってきました。このロータリーの旅行の話を始めると、思い出がありすぎて止まらなくなってしまいます。エアーズロックの頂上にたちみんなでオーストラリアの旗を手にした時の感動や、テントを作って毎晩違う人と一緒にテントを共有し、お互いの事を話しもっと知り合える事ができた事や、星あかりの下で皆で丸くなって寝た事、自分の国の文化について語り合いあった事も、全てがロータリーの留学生だったからこそ経験できたことです。同世代の世界中から集まった仲間が、自分の国について力強くのべる姿や、世界平和について自分の意見をしっかり述べる姿を見て学ぶこともたくさんありました。1年前、留学に対して少し不安を抱いていましたが、環境に慣れてくるにつれてオーストラリアでの生活は考えていた以上に平穏で友達と笑って、家族の一員となっていく、そんな毎日が広がっていました。ただ、そんな毎日の中で私は今まで当たり前だったこと、自分が自分の両親のもとに生まれて家族がいること、日本に生まれて自分が日本人であること、私が私で生まれたことも、本当はすごくすごく大切で素敵なことなんだって気付くことが出来ました。この1年間なしでは私のこれからの人生はなりたたないでしょう。中学生の時からの夢。留学すること。その夢を叶えて今の私はもう新しい目標に向かって歩き出しています。留学で得たものを糧に、これから世界へ羽ばたき社会に貢献していくことで恩返しが出来たらさいわいです。青少年交換委員長山崎さんを初めとする委員会の方、熊谷南ロータリークラブの方々、そしてローテックスのみなさんには本当に感謝しています。最期になりますが、私の留学に協力してくれた人達、支えてくれた家族、いつも私を笑顔にしてくれる友達、熊谷西高校の先生方、ホストファミリーや海の向こうの友達にたくさんの感謝の気持ちとこれからもよろしくお願いしますを伝えたいです。最高の1年でした!
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